英語と出会い、留学6年~そして独立に至るまでの道のり 第五章
第四章に書きましたがイギリス版TOEFLであるIELTs(アイエルツ)をワーホリ中に受けました。さてこれはなぜかというと大学に行くのに必要だったからです。
未だに分からないエージェントの虚偽
僕が行った語学学校を推薦してくれたのがエージェントのKさん。色々アドバイスしてくれたりして親子共々信頼していました。語学学校で出会った先生達をみて僕も英会話の先生になりたいと思った時から「大学は出ないとな」と思っていたのでKさんに相談していました。彼の話では
ニュージーランドの大学は学費が無料。
IELTsの7点以上を取る事で大学4年間が3年間になる(一年間の準備コースが免除される)
大学への推薦状を語学学校から出してもらった方がスムースに事が進むので学校に何か寄付をするといい。
ってな話だったけど、蓋を開ければ全部嘘。大学に行ってその話をすると「そんな話はねぇ」と同情する気もないドライな対応。
未だに謎です。皆さん、お金に関わる事、大事な事はエージェントの話を鵜呑みにせず自身でも調べておきましょう。
大学準備コースにて
エージェントさんに見事に騙され、日本の大学とほぼ変わらない学費を払って大学入学(ありがとう親父、おかん)結果をいっちゃうとこの準備コースでの1年が大学4年間で一番充実してた。楽しかったし、友達もいっぱい出来た。
うちのクラスは文系で(-sをつけてArtsクラスといいます)、他のクラスよりも国籍がぐちゃってた。イギリス、ロシア、ドイツ、タイ、マレーシア、中国、ほいで日本。授業で他のクラスとも一緒になるし大学のレクチャーみたいな感じではなくて教室での授業がほとんどだったのでみんな仲良かった。
この時期はしょっちゅうパーティ☆けど多くの生徒はちゃんと勉強はしてて、しっかり学んでしっかり遊ぶスタイルだった・・と思う。自分で言うのもなんだけど人並みに勉強はしてたと思う。なんせ興味のあまりなかった科目も英語で読んでたら自然と興味が出てた気がする。
うちでよくPartyしてました。
クラスメイト皆飲むの好き^^
飲んで
あほな事をするのもまじめ
ほんまにいざこざなんて全くない平和なとこだった
唯一いた日本人の子も、海外で会わなきゃ友達になってなかったやろうなって思う。類は友を呼ぶってそうやけど、類じゃない人と出会って仲良くなる事も海外行って増えたと思う。
テキーラは今でも好き
栗みたいな頭してる。こん時は自分で髪切ってたからw
まじめな話も出来るのが好きだった。もちろんこん時にまじめな話をしていたかは覚えていないが。
ブレイクダンスを始めて友達の幅が広がった
大学の準備コースで仲良くなったメンバーと、他にダンスを始めた事で広がった人脈も今でも大事にしている。高校の時にBMXにはまり、ここでもしてたが、なんせBMX自体あまり人気がなかった時代なので、あまり人脈は広がらなかった。そもそもあまり目立つのは好きじゃないので、ダンスは性に合うかと言うとNOなんだが、誘われて始めた。
英語にしてもダンスにしても、自分が何にはまっちゃうかなんか分からんもんだ。だから出来るだけ断らないようにしようっていうのがいつからか生まれた僕の信条。
踊ってたら、踊るのが好きな人が集まって
色んな人種の人と話して「へぇ~」って思って
同じチームで練習してた仲間
そして、ダンスで仲良くなった仲間が
大学の友達に加わってまた輪が広がる。
今30過ぎて、いい友達作るのが難しくなってる。それぞれ皆に昔からの心地いい仲間や、もちろん家族がいて、時間的にもあまり取れないし、そもそも新しく友達を作ろうとしてる人達自体が少ない。友達って作るもんじゃなくて出来るもんなんだけど、昔みたいに出来なくなってる。
寂しいよね。友達っていっぱいいればいいってもんじゃないけど、色んな人と出会いたいなとは思う。じゃないと視野が狭くなるし変化がなくなる。よく似たもの同士は本当心地よくていいんだけど、そうじゃない人とも出会って話してみたい。
そいで自分の友達が色々つながってくれたらいいなぁ・・って理想がある。
っと、話がそれた。
ほんとに終わりそうにないなこの道のり辿る話w ま、地道に更新しますので暇な時にご覧いただけたら本望でございます。
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経験者しか分からないけど、長袖やジャンパー着てるから寒いのに、外でBBQしてる写真がすごくNZぽくて笑った。